番外編 映画評「ボヘミアン・ラプソディ」

東宝シネマズ錦糸町に、「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行って参りました。
世間では大ヒットしてるらしいですが、ロックバンドの伝記映画としては異例の事です。
ヒットの理由はクイーンというバンドのポピュラリティはもちろんですが、当時のロックシーンを描くのではなくクイーンというバンド、そしてフレディ・マーキュリーという一個人にフォーカスを当てた作劇が功を奏したのだと思います。
ファンのみが理解できる当時のセレブや、ロックシーンの状況をあまり描かず(そこが微妙に不満でもありましたが」)、人種的、性的マイノリティの1人の男の孤独と苦悩、そして疑似家族としてのバンドの絆、成功と不和、和解を丹念に描き、最後に大きなカタルシスを持ってくることにより、クイーンのファン向けだけではなく、名前しか知らない人、子供から大人まで誰しもが感動できるクロスオーバーに成功したのだと思います。
個人的な思いも込め批評してみたいと思います。
⬛️クイーンについて
ロックファンにはにはごくありふれた話ですが、性に目覚め、ロックに目覚めた中学の頃の自分には、クイーンのグレイテスト・ヒッツの2枚のCDは聖典のようなものでした。
初めてボヘミアンラプソディーを聴いた時の戸惑いを表現すると、ジージャン、革ジャンにモヒカンの野郎だらけのロックの世界に急にクラシカルな衣装の紳士淑女達が急に割り込んだような感じとでといいますか、自分が知っているロックとはかけ離れた、聴いてて少し恥ずかしくなるぐらいの不思議なロックだな、という印象がありました。
もちろんすぐに慣れ、その豪華絢爛かつソリッドなロックンロールの世界に夢中になりましたが、その頃の感じを1番表現してるのがこちらの動画の7分38秒あたりの男の子のリアクションです。
KIDS REACT TO QUEEN
このまだ精通前の少年のエナジーがほとばしる感じ、懐かしくてたまらんものがあります。
その後立派な洋楽オタクになった後は主要なクイーンのアルバムも聞くようになり、グレイテスト・ヒッツから漏れていた名曲群にも触れるようになりました。
特に名盤「A Night at the Opera/オペラ座の夜」で、名曲「Love Of My Life / ラヴ・オブ・マイ・ライフ」へと華麗に繋がる「The Prophet’s Song / 預言者の歌」、まるで破壊の神のような大迫力のフレディのボーカルワークとオーバーダブを重ねに重ねたコーラスの荘厳さは凄まじく、裏ボヘミアンラプソディーといえるような超名曲だと思います。
⬛️監督ブライアン・シンガーについて
世界中の観客を騙してラストで引っ繰り返らせた傑作スリラー、「ユージュアル・サスペクツ」で鮮烈にデビューして以来、コンスタントに傑作を発表し名監督の1人となったブライアン・シンガー。
今回の映画、初めブライアンシンガーとしてはかなり異色作に思えましたが、見終わってからは大変納得できるものでした。
ブライアン・シンガー監督は、デビュー後ゲイをカミングアウトしており、ゲイならでは?の美的センスが作品のルックの部分、アクションの優雅さや計算され尽くした画面構成に生かされていると思います。
また一流のエンターテイメントの裏に必ず社会とマイノリティの軋轢といったシリアスなサブテキストを織り込んでいるため、レイヤーの多い多重構造の作品が多いと思います。
「X-MEN」1作目、2作目ではマイノリティとしてのミュータントが既存の社会の中で迫害される中、ミュータントの中で人間社会との融和を図ろうとるするキング牧師的なリーダーのグループと、人類との完全対立で暴力も辞さないマルコムX的リーダーの過激派グループとの対立が描かれてます。
この2作、ヒーローコミック映画ながらも現実社会を反映しており、ドナルド・トランプに始まる現在の世界的な潮流をまるで制作当時予見したかのような、鋭い洞察に溢れた深みのある傑作となっていると思います。
また脱線しますが、「X-MEN2」でのファイトシーンにおける身体表現は監督の高い美意識が反映されているのか、ヒーロー映画史上最もスタイリッシュかつ美しいものだと思います。
今回は途中で降板という事でしたが、70年代当時の社会で、性同一性障害として生まれ育ったフレディの苦痛や社会との軋轢の丁寧な描写には、同じく性同一性障害であるブライアン・シンガーの思いが込められていると思います。
また、前述した「X-MEN2」で、ウルヴァリンの生みの親、ストライカーとの断絶した父子関係のような表現もまた今回の「ボヘミアン・ラプソディ」でも繰り返し出てきており、途中降板とは言え今回の作品もまた、シンガーの作家主義的な作品である事は間違いないと思います。
■映画「ボヘミアン・ラプソディ」について
ロックバンド、有名スターを題材にした映画は数多くあり、「ドアーズ」、ジョニー・キャッシュの「ウォーク・ザ・ライン」などありますが、今回の作品は他のロック伝記映画よりもはるかに主人公の内面に切り込んだ作品だなと感じました。
ロックバンドならではの煌びやかなパーティや、著名人達との交流の描写は最小限に留め、一人の女性を愛しながらも自分が性同一性障害と気づき、孤独に苦しむフレディマーキュリーという1人の人間にスポットが当てられています。
また、ソロデビューでのバンドとの確執、恋人との別れ、悪徳マネージャーに食い物にされる描写で映画のトーンは後半重くなって参りますが、それらはクライマックスのライブエイドでカタルシスを爆発させるためのタメとして機能しておりました。
そのクライマックスの20分ですが、ライブエイド完全再現が凄まじく、実際に撮影されたライブ映像の映画的な映像表現でのリメイクと言っていいかもしれません。
こちらが実際の映像になります。
昔から見ていた映像でしたが、最近youtubeで例の「レーオ!」聞きたさに何度も繰り返し見ていたせいで、ピアノに置かれたビールやペプシのカップ、フレディの舌レロレロなどの細かいアクションなどの細かな再現ぶりに気がつき、こちらも舌を巻きました。
空を飛ぶようにダイナミックなカメラワークで映される群衆、幸せに満ちたメンバーやスタッフの表情、オーディエンス一人ひとりの歓喜の表情、それらをライブ映像にカットインすることにより、多くの人に見られている既視感のある映像に映画的なダイナミズムが加わり、奇跡の20分と呼んでも過言ではないロック映画史上屈指の名シーンになったと思います。
映画全体ですが、不満が無い訳ではありません。
ただその不満はロックオタクとしての不満でしかありません。
例えばクイーンは当時日本で人気が爆発したはずなのに、その描写が無い。
またデビッド・ボウイエルトン・ジョン等のロックスター達との交流が描かれず、フレディの孤独と苦悩にスポットが当たりすぎて派手さが少ない。
主役のラミ・マレックがどちらかと言えばミック・ジャガー顔で、フレディ役としては線が細すぎる。
などです。
それもこれもオタクがゆえの些細な不満でしかありません。
そう。全ての不満は、クライマックスの20分のカタルシスによって全て帳消しとなりました。
再び集結したクイーンのメンバーが、数年の別離を乗り越え和解し、瞬く間に以前の輝きを取り戻すあの瞬間。
そしてフレディも孤独の苦悩を乗り越え、訪れるであろう死への恐怖に打ち勝ち、真のチャンピオンとなるあの瞬間。
その瞬間、苦悩する1人の男、フレディ・マーキュリーに寄り添っていた観客もまた、チャンピオンとなれるのです。
必見!
半ライス大盛り

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です